田舎人

日記や備忘録、日頃学んだことなど書いていきます。

『やりたいことをやる』について考えてみた(自分論)

フランスパンが食べたくなったらフランスに行って食べる

エアーズロックが見たくなったらオーストラリアに行く

牛タンを食べたくなったら青森へ行く...

 

ふと、思い立った時にできるというのは幸せなことだ

 

やりたいことをやりたいときにやる

 

これが今の目標だ

 

これを実現するために日々努力している

 

しかし、ふと考えることがある

やりたいことが間違っていたらどうだろう?

何を基準に間違っていると判断するのだろうか

 

例えば、

人殺しをしたくなったらどうだろうか?

人を殺したいのだからそれをやれば目標は達成されたことになる

しかし、幸せか?

と考えるとそうではない気がする

やりたいことをやっているのに

 

人殺しはしてはいけないなんてみんな知っている

だからやらない

これは極端だからわかりやすい

 

しかし、この先お金を稼げるようになって、できることが増えてきた時、

そこでやりたいことが正しいのかをどうやって判断するのだろう

 

青森で牛タンを食べるのは正しいことなのか?

海でサザエを取って食べるのは正しいことなのか?

 

この事業は正しいのか?

この人と結婚して正しいのか?

 

やりたいことをやるのが幸せに繋がるなら

人に

『◯◯をやりたいんですがどうでしょう?』

と聞かれた時に全て

『やりたいならやったほうがいいよ』

という答えになってしまう

 

子供が

『将来どうしようかな?』

と悩んでいたら

『やりたいことをやりなさい』

という答えになってしまう

 

その答えでいいんじゃない?

と思うかもしれないが、

ここで言いたいことは、

”そのやりたいことがその人の幸せに繋がっているのか”

をどう判断するのか

ということだ

 

何か基準が必要だ

 

今の私の結論はこうだ

 

 

自分が死ぬ間際に

やってよかった

率直に

心のそこから思えること

 

 

これが今の答えである

 

やってよかったかはその人の善悪の基準に委ねられてしまう

善悪の基準は

人と接したり

道徳を学んだり

法律を学んだり etc..

その中で培われていくものだと思う

なので個人差があるのは仕方ない

 

 

答えはシンプルだが割と自問自答を繰り返してたどり着いた答えだ

もし記事を読んでいただき、参考になれば幸いです(m_ _m)